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子供の育てのまとめ



産後に帰宅して数日後に、仕事から帰宅した旦那さんに今日のご飯は何?っと聞かれた時、立ち眩みがしました。


3日間かかる大変な出産で、産後の日取りにも3年かかりました。
産後に何度か高熱が出て、その間隔はしだいに空いていき、最終的には元に戻るのに3年くらいはかかりました。


出産は経験した人にしか分からないしんどさがあるし、旦那さんも出産前の様な感覚でなにげに言った言葉だったんでしょうけど、私はその言葉を聞いて、先が不安になりました。いっぱいいっぱいで家事と育児の両立が出来ないっとその時感じたから。


産後の日取りも悪い中で、(後に分かる)発達障害グレーゾーンの赤ちゃんの子育てと、家事の両方は想像以上に大変で、過去に経験したことのないほどのしんどさで、もともとすごく健康で体も強い方だったのでよけいに衝撃的でした。

こんなに激しく泣いてて、他の赤ちゃんと比べると敏感だったり、泣きの回数や激しさも違っていて、なんかどこか変だな~って産後すぐに感じていたし、体が痛い中での買い物や特に料理のメニューを考える作業は産後の脳みそがぼ~っとした状態では、頭が働かず、でも求められているのでやらなきゃっと思い、頭をフル回転させました。


それが後に無理をしていた原因でもあったな~っと数年後に気づくんですけど、こころのどこかで、こんに体調が悪いのに今日のご飯のメニューが大事って、出産して子供を育てる妻って、いったい男の人から見たらなんなんだろう?って毎日疑問でした。疑問がすぐに不満になっていったんだけど・・・。

産後はしばらく体を休めたり、脳みそも休めた方が良かったたんだろうな。
それが後でたたったんです。職場の年上の方に産後は休まないとダメよってすごく言われてた。昔は鏡も見ちゃいけないとか迷信みたいなものがあったみたい。

でも当てにできる人もいなかったので、だいたいは1人でやりましたけど、長男はほとんど1人で育てたような。旦那さんは仕事で残業が続いて、同じ家で暮らしていても顔をあわせるのも週末のみでした。早朝から深夜まで、寝る時間なんて数時間でしたし、週末でさえ区政委員の仕事がありましたから。で、鬱が再発したのかな



ずっと赤ちゃんの成長の遅れ、首すわりや、泣きの回数や激しさや、そういうのが心配で、興味なさそうだったけど、産後の閉鎖的な自分の状況では相談するにも旦那さんしかいなかったので、とにかく心配だったので、言い続けましたが・・・。他の子と比べたらどこか違うし、病気かもしれない?とか何とかだったような内容は


その時は、ちょうど同じ年に生まれた旦那さんの兄弟の子供がいて、はやりその赤ちゃんを見ると、成長の遅れなんかも違うし、ますます不安になりました。

でもその後、息子が2歳になるとさすがに成長の幅が明らかに周りと違うもんだから、旦那さんも心配するようになって、それでたまたま習い始めた息子の習い事のママが、実は同じような子供を持っていて、療育に行っているっというような話を聞いたんです 。

後にそのママとはしばらく仲良くさせてもらいました。療育系の情報なんかでは凄く助けられました、今でも感謝しています、ただ子供抜きで付き合うとあまり趣味があわないことや考えも合わない価値観も違いすぎると感じていて、子供の発達の心配がなくなった頃には、あんまり共通する話もなくなって、長続きはしませんでしたが、とても助けられました。メンタル的にもです。

その方のおかげで療育へ行こうって勇気がもてたんです。
療育へ行く事は障害って認めることでもあったので、抵抗があったんです。でもそのママは嬉しそうに療育での内容を語っていたので、すごく安心できました。

以前から発達遅れなどの言葉で検索していたので、きっとどこかそういうのがあるんだろうなっとは思っていたんだけど、

で保健所へ相談、その後療育へ通う事になり、発達検査の予約をしました。
療育は週1回で、自転車でも行ける距離でした。

その時に旦那さんが「ある日これは全部嘘だったってことはないかな?朝起きたら夢だったみたいな」っというようなことを言ってましたが、たぶん自分の子供が発達障害の疑いがあるなんて受け入れたくなかったんでしょうね。自分もそうでしたけど、私はなんとかして子供の原因を突き止めたい一心でした、あの頃は

出産前、旦那さんは鬱でして、回復してからの出産でしたが、産後に鬱が再発。
私の人生の中で一番パニックで一番忙しい日々でした。

途方にくれた毎日でした。先が見えなかった。
発達遅れの子供の世話に、鬱の旦那のメンタルでの支え、両方が一度にのしかかったので辛かった。キャパオーバーで、自分の事は全て後回しで、旦那の事や子供の事をやっていた。

療育へ通いながらネットや本で自分なりに毎晩、子供の昼寝の間でさえも調べまくり、ほぼ365日毎日公園、1日に2回、それも別の公園にしないとダメでした


家に居るときは常に泣いてる状態で、夜中も夜泣きのない日は1日たりともなく、毎日の夜泣きは年中まで続きました。これは普通じゃないって思いましたね。言葉も通じないし、理由もわかってあげられず自分を責めたし、泣き続ける子供が可愛そうで、自分も泣いて、あの頃は毎日泣いてたわ。妊娠中に何か砂糖を取りすぎたとか、何がいけなかったんだろうって、毎日考えてた。答えはでなかったけど。


家では激しく泣くので、近所への心配や自分がノイローゼになりそうだったのもあって、公園へ。ベビーカーでの散歩や公園は全く泣かなかったので、泣かないというだけで自分がメンタル的に楽になれる時間でした。


毎日公園に行くから公園の主みたいになちゃって、何時にどの親子が来るとか、猫のえさやりのおばさんが来るとか、犬の散歩とか、日にちや時間を把握してましたね。色んなママと知り合たし、話したし楽しかった。


ただ朝に公園、帰宅して昼寝、また午後から公園、夕方途中で買い物して、帰宅、家事お風呂・・・っともう休む暇もなく、トイレさえもいけず膀胱炎になってしまいました。そのスケジュールが365日でしたから、体が悲鳴をあげていました。

雨でも、雪でも散歩や公園はかかさずいっていた。
2,3歳になっても1度泣き出すとノンストップで息継ぎさえせずに3日間でも泣き続け、警察や児相も来たし、もうあの時の私はただただ、毎日をやりすごすだけで、いっぱいいっぱいで、先の不安だったりがすごくあって、とにかく。今思ってもぞっとします。


次男は真逆でとっても育てやすくて、まず体調不良以外での夜泣きは赤ちゃん期から全くなかった。癇癪も兄は激しすぎたけど、こだわりも凄かったですが、次男はもうすべてが平均

次男が生まれて気づいたんです、これが普通の子育てなら、やっぱり長男は大変だったな~っと。小4になっても、人の気持ちがわからなかったり、空気が読めなかったりで友達とのトラブルが絶えなく、結局小2からクリニックに通って薬を飲んで、テンションをコントロールしています。

テンションも高いと大変っというわけではなく、発達遅れの子のテンションの高さはそうじゃない子のテンションの高さの子よりもはるかに大変なんです、理解はされなかったけど、今次男が生まれて年少になってはっきりそうだと言い切れますね。


発達障害グレーの子は見た目は普通です。
通りすがりのおばさんでは分からないです。
いつも一緒にいる親でないと理解できない部分があって、はやり理解されなかった。理解されないから協力もえられなかったし、スーパーやどこへ行っても誰かに叱られる毎日で、謝る毎日。普段は普通ですが、何かでスイッチが入るともう手が付けられず帰るしかないんです、子供本人もどうにもできず、何時間でも落ち着くまでひたすら待つしかないんです。


次男を産まなかったら絶対に気づかなかった、普通のレベルの子育ての味わいも、兄は大変だったけど、その分大きな感動があったこと、普通の子育てしかしないママが絶対に味わうことができない感動と喜び、そして感謝がありました。


で、何よりも自分がすごいスピードで成長しました。
もともと未熟な自分で、人よりはワンテンポ遅れを取るようなタイプでしたけど、今は凄い自分を分析したり、コーチング講座も習ってコーチの資格もとって、それを活用して、そのおかげで、自分自身を救うことができました。

コーチングの聴く、認めるを一番に自分自身にやってみました。
自分がコーチでもあり、クライアントでもあるという異例の状況でした。
でもそれが良い方向にいったんです。私は子供の頃から母が忙しくて教育面ではネグレクトってくらいに放置されていたので、社会のルールや躾もあんまりされず挨拶1つできない環境で育ち大人になって、それが原因で社会に入ってからかなり苦労しました。

結婚後も挨拶が出来ない事で旦那さんの両親からかなり言われましたし、自分を改善する作業に物凄い膨大な時間を使いました。

旦那さんは鬱から社会復帰はしたものの、いまでも自分の事でいっぱいいっぱいな様子だし、出産前に私もメンタル病院へ行っていたし、状況からしてもう自分は誰かに救われるってことはないから、自分の事は自分でなんたかするしかないと思って、自分自身をコーチングで救ったっという感じです


私は虐待経験もあり、とても母とは一緒に暮らせなかったので、兄弟ともです、父親は説明が出来ないほど普通の環境で暮らした人には理解できない状態で、最後はアル中でなくなりましたが、家族も崩壊してましたし、私は逃げるように家を出て、そのまま同棲、結婚という流れでした。とにかく精神的にズタズタでしたから、はやく家を出る事だけを考えていました。結婚相手も正直誰でも良かった、仕事して暴力がなければ、誰と結婚したって同じと思っていました。お見合いでもよかった。家を出る為なら。

自分を気に入ってくれて結婚を望んでくれる人がいたらその人としようって思っていました。愛だとか恋だとかそういうの余裕がなさすぎて考えなかったな、恋はしましたが、結婚は別の理由でしたから。

幼少期の傷をいやしたかった、病院ではそれが完璧に完了したわけではなかたので、コーチングを習った時、これは自分に使えると思いました。もともとは子供の為に習ったんですが


心の中でですが、子供時代にタイムマシンに乗ってもどって、昔の一番辛かった時の自分に逢いに行きました、その小さな自分をぎゅっと抱きしめてあげました。それで声をかけてあげた、大丈夫だよ、あなたの未来は大丈夫、辛いね苦しいね、一人じゃないよ、私がいる、未来で待ってる、いつか乗り越えてハッピーな未来が来るからね。って。


そうやって何度も何度も辛かった場面ごとにもどっては抱きしめ、もどっては抱きしめ、それをずっと繰り返していたら、ものすごく楽になって、次第に過去の苦しみにとらわれなくなったんです。聴く認めるは生まれた時からずっと私にはないものでしたので、徐々にそれが埋まる感じでした自己肯定感もあがりました。


今は完全に埋まっています。
過去のそういった辛い経験から空いた穴って、埋められないんだって知りました。
だから私はコーチの講師を目指しましたが、そこまではいけませんでしたけど、小さな額に入った資格が壁に2つかけてあります。もともと人の為に何かをしたいって思ってはいますけど、そもそも人と話したりすることや人付き合いは苦手だったし、

何よりもコーチングは今の日本では根づかないと確信したからでもあります。
アメリカは8割くらいコーチング使われているけど、日本はそうじゃない、
実際にコーチングを取り入れてみたら、批判されました。

日本はみな公平って言う考えはないんです、上司部下、先輩後輩というように上下関係がハッキリしている文化なので、公平なんて通じませんでした実際には。

日本は何よりも大人が優先で子供はうっとうしい存在として扱われています。まだまだ男女平等ではないし、シンガポールで出産して子育てをした方が、スーパーに子連れで行くと、すごく店員さんに良くしてもらって、多少さわいでも許される、というかむしろみんながフォローしてくれたり、それが日本に来たら、子育てしずらいと感じたようです、中国人の知り合いも日本は子供に厳しすぎて中国の方が育てやすいと言っていました。

アメリカのスーパーで果物を食べちゃって後で普通にお金支払う映像をみて、信じられませんでした、ただアメリカも場所によっては厳しいみたいで、泣いた子供をスーパーの中には絶対に連れていかず泣いたら速攻外に連れ出す文化だとも聞いたことはあるけど。

日本ではまだまだ時代じゃないんです。
日本って遅れているな~って思います。
技術ばっかっり進んで、そのぶん心をすり減らしているので、完璧主義の国なのかなって思います。日本って海外から見たら村八分みたいなもんですよね。みんな一緒じゃなきゃいけない文化とか。


子供に厳しく、親子に厳しい、良い部分もあるんですけど、出産休暇とかでも活用されてない、使えないんですそういう空気があるので。日本は法律とかルールの前に空気が優先されるし、実際にOLやサラリーマンという仕事場そうなのかなって、自営業は別ですけど。


子供が5歳の時にグアムへ行ったんです、旅行で、ホテルの人やお店の人は息子を見るなり笑顔で近づいていて英語でば~って話かけてくれるんです。びっくりしました。まるで子供は宝っというような感じでした。英語が分からなくてもどんどん話かけてきて、笑顔で、本当に素晴らしかった。

一度は海外から日本を見た方がいいでしょう、でないと日本の良い部分にも気づけないし、日本を知ったとは言えないでしょう。自分は海外から日本を見た時、素晴らしい部分に沢山気づきました、私日本が好きだって思いました、それまでは日本の文句や不満も多かったな。

なぜアメリカの人はあんなにもフレンドリーなんでしょうか?子供の時からもうしっかり主張できてますよね、コーチングが自然に取り入れれるから、凄いな~



日本では子供に厳しくするので、その子供もいじめだとかストレスだとか大人のしわ寄せの影響があるんだなっと感じます。最近は思いやりのない人が増えたな~って思います。

乱暴をする子供はだいたい話が全く通じない親なので、一見悪事をはたらく子供は子供に原因がありそうだけど、親が原因だな~って身をもって知りました。

日本の街の綺麗さとか、四季の景色の美しさとか、職人とか色々食べ物とか素晴らしい文化がいっぱだって思うけど、遅れてるな~っと思う。そもそも小学校で英語が入ったのに、いまだに小さいころからの英語教育に反対してる大人が多いんですよね。

本当に間違いなら、こういうシステムにはならないし。どこにもデータがないのに、日本語に悪い影響があるとかななんとか・・・。


いずれ日本も何十年か後には、みんな子供は海外のアニメを英語で見て、街では英語で会話してる人も普通にいるんだろうな~っと思う。

私も長男が言葉が遅れていたから、英語なんてやってっという感じの事を言われたりしましたが。確かにもともと遅れているから、英語を入れてさらに遅れましたが・・・。今はそんなことないですが、言葉は達者ではないけど、生活には困らないレベル。


コーチングは自分を救ってくれた本当にやってよかった。
誰からも認めてもらったことがなかったので、自分を認めた時は、穴がふさがっていく感じで、あったかい気持ちになれましたし、過去の辛い夢をみたり、PTSDに悩むこともなくなった。

ふわふわしていた自分でしたが、今はしっかり軸ができました。
言いたいことも昔よりは言うようになりましたし、誰かにおかしなことを言われたりふきこまれたりしても、流されないようになりましたし、人に何を言われても気にしなくなりました。


自分をよく知らない他人が何を言っても、それってしょせんは他人が言う事だし、何の意味もない薄っぺらい言葉に悩まされることはなくなりました。誰からも愛される人はいないし、完璧な人はいないって今は思えるようになった。


コーチングって素晴らしいなって思います、取り入れた方が日本はもっ良い状態になるのでは?っと思いますが、秘書検定に上司のミスは自分のミスが正解の世界では、先が遠いな~。コーチングは3年かけて講座に出ました。ただそれを教えるのはまったく別に技術ですね~、

自分で自分をほめる、他人の言う意味のないネガティブな言葉は気にしないように、子供の時から愛情が不足していたので、いっつも誰かに愛を求めていたけど、それが埋まることはなかった、まさかそれを自分自身で埋まる事になるなんて思ってもみなかった。

自分が頑張った姿を一番見ているのは自分、誰よりも辛かったことを見ていたのは自身だし、自分が一番知っているはずなんですよね。誰かに責められても間違ってるっと思ったら、それを通せるようになった、もちろん見直して間違えた部分は認めて直すけど、そうじゃなくてあきらかに、焼きもちからくるいいがかりや意地悪ならですけど。

意地悪される時、相手を見ているとだいたいその人は、幸せじゃないようで、幸せそうに見える私が憎らしくなるんでしょうね。以前自分を意地悪していた人に理由を聞いたら、単に若さに対する虐めだったことが判明した。

虐めの内容は凄まじく私のあらゆる部分を否定するという内容だったけど、結局は焼きもちだった。なぜなら私は見た目の雰囲気がすごく幸せに育ったお嬢様にみえるんだそうです、勝手な想像ですよね。でも実際には、よくそう言われますし。

大事にされて幸せに育ったんでしょうねっとよく言われるんです、虐待された幼少期の話をしたら、おいい泣いて同情してくれた。そう見えないねって。優雅で余裕があって、いつもどうどうとしているから羨ましいって職場ではよく言われました。内心はいつもおどおどして働いていましたよ。

私はただ演技派なだけです
それに今よりかなり瘦せていたし、美容にも力を入れていたので、毎日何人もの男性から可愛いねって言われてた、それみて焼きもちやかれたのかな。女性からも言われてたからね。今では嘘の様ですが。

今本気でダイエットしようって今思うわ。


コメント(0) | トラックバック(0) |2021年10月 5日 00:39

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