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インサイド・ヘッド



CMを見た時はイマイチだろうな?って思った。
今日、子供と一緒に見に行った。


「さよなら、友達」
「こんにちは、悲しみ」
っと悲しみがいった。

悲しみの声がとっても悲しさいっぱいで、でも可愛さもあって、なんとも不思議なキャラクターだな~って思ってみていたら、最後に声が大竹しのぶっと分って(あ~やっぱりこの人なんだ)っと思ったわ。さすが、上手ですねこの方。

このインサイド・ヘッドは11歳の少女の頭の中に5つの感情があって、その感情さん達が活躍するアニメです。とっても泣ける場面がいっぱいで、子供向けというよりは大人向けといった内容。


喜び、怒り、嫌悪、恐れ、悲しみ、達が住んでいます、頭の中に。

悲しみは、いつも悲観的なセリフばかり。
喜びはいつだって前向き。2人が頭の中のさらに奥に迷いこんで、2人で懸命に司令室へ戻ろうとするのですが、なかなか大変で。


少女はミネソタからシスコへ引っ越してきたのですが、とても辛い、故郷が恋しいのです。そんな時頭の中では、怒り、嫌悪、恐れさん達がボタンをピコピコ押しているのですが・・・


少女の全部を感情達が誘導しているわけではなく、といっても頭の中の、思い出の部屋には思い出のボールがいっぱいぎっしり詰ってますが。
勉強になった映画でした。

どんなシーンで、どんな感情のボールを使うのか。
それによって少女も自信を取り戻したり、爆発して泣いたり。
悲しみ、も必要な感情で、自分が悲しい時、家族や友達が労わってくれたり、共感してくれたりすることで、抜け出したりできますね。また悲しい話を聞いてもらえた事で気持ちの整理ができて、復活できますね。

そんなシーンが映画でもあって、とても共感できました、少女にも感情さん達にも。
あなどれない映画でした。


最後には、嬉しい感情のボールを全部悲しみに染めることで、少女が自分の気持ちを両親に打ち明けました、全てが悲しみでいっぱいになったので、あふれ出たのでしょうね。映画では悲しい子供に、両親が共感することで、少女も落ち着きを取り戻しました。

悲しい時の乗り越え方のベストだと思いました。
感情には可愛い名前がついているわけではなく、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカ、っと呼ばれていました。分りやすかったですね、名前で呼ぶよりは。カナシミが一番好きですね、キャラクター的に可愛いし。

何をやっても悲しみで全てを染めてしまうカナシミさんだけど、最後にはちゃんとカナシミも必要だったわけです。カナシミでなければ出来ない役目。またイカリでなければ出来ない役目があるわけ。みんな役目があるわけ。



とにかく勉強になったし、とっても見て良かった映画でした。
発達遅れの子供はどうも癇癪や乱暴が激しくて、スーパーで走っていけないというのも4年間言い続けても進展なし。それで今日映画を見て、子供のその時に必要なピントがやっぱり今一度つかめていない自分がいるのかもしれない、と思いました。
映画の後でイオンモールを走り、回りからは放任主義という好奇な目にさられれたのですが、言葉では言い続け、もしそこで体に指1本でも触れようものなら、その場で激しく泣き喚くので、恐くて出来ない。

実際何度か、かついで撤収や、色々行ってきたけど、よけいに反抗して激しくなるばかり。今日は映画の後で、子供がジュース屋さんで桃シェイク飲みたいっと言ったので、買うときに「これ買っってあげるけど、じゃあ走らないでね、スーパーでのお約束だよ・・・」っと何度も行ってシェイクを飲んだわけですが、その後で即効走ったので、「あれ?お約束は?」っと言ったら、ピクリと反応したので、通じたかっと。

きっと約束もただの言葉のかわしだけではダメなのかもしれない。
別に食べ物でなくてもいいのですが、何か子供の好きな事で、あるいは印象的な事とセットにして、お約束すれば、わりと、セットの方を思い浮かべることで、お約束を思い出すようです。

けしてバカな子ではなくて、ヘレンケラーの様に悪い事が悪いことだと理解するまでに時間がかかるのです。でも理解さえすればちゃんと分るのです。

ヘレンケラーをネットで調べたらこんな分がありました。
↓↓↓


「1882年、2歳(生後19か月)の時に高熱にかかる。医師と家族の懸命な治療により、かろうじて一命は取り留めたものの、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。このことから、両親からしつけを受けることの出来ない状態となり、非常にわがままに育ってしまう。」ネットより。


私も同じく発達遅れの子供の躾けには毎回悩まされ、どうしたらわかってくれるのか、それを考えて、実践して失敗、の繰り返しですが。
ヘレンケラーの話のなかで、やっぱり私が凄いと思ったのはサリヴァン先生です。
もしサリヴァンに出会えなかったらヘレンケラーは全くそのまま大人になって人生が終わったんだと思います。この先生あって、彼女の物事への理解が出来、「ラドクリフ女子大学を卒業、文学士の称号を得る。」とあるので、勉強も頑張って、卒業も出来たんですね。彼女は日本へ来て・・・そこからまだまだ人生の物語が続くのですが
、とにかく子供を育てながらいつもヘレンケラーのことを思っていました。

諦めずにあの手、この手色々やってるうちに、いつかはこの子に合うピントを探してあげられるのかな?って。自分たちを知らない赤の他人は何も知らないわけで、どう見られても、何を言われても、自分がちゃんとやってる、とそう思えれば良しとしないと、親子で壊れてしまう。他人の目や社会的なものはとりあえず置いといて、まず子供の事を考えよう。


自分に出来る事をやろう。
きっとそれが自分のお役目になるんだろう。
っと思た今日でした。

朝から、クーラーの取り付け作業をしてもらい、旦那さんの両親が桃を持ってきてくださり。その後映画へ行きました。映画の前で、クレープをまるっと1個食べていた。クレープ大好きですのよ。私はエビグラタンのクレープ食べたわ。

最後の砂場 (24).JPG





昨日は、近所の公園で幼稚園の年少親子が集まった。
引越しする親子がいるので、最後の思い出作りに、集まりました。

子供はおもちゃの貸し借りがまだ出来ず、いまだにやってる事のレベルが2歳児程度だわ・・って嫌な気持ちにはなりました。来て良かったのかな?とも思った。他の子に迷惑かけることがわかっていたから、でもバイバイする親子にはお世話になったので、最後の日には出たいと思いました。

10時~12時半まで、炎天下の公園で、子供は小学生の子と水鉄砲で遊びました。
何度も激しく泣き喚くだびに、好奇な目もありましたが、公園後には気持ちがスッキリしていた様で、子供は楽しかった、と何度も言っていました。「お友達におもちゃ貸せなかったのは良くなかったね、でも遊べて良かったね」っと私のひと言。


夏休み、公園いけない理由は、こんなことが理由。
必ずトラブルがあり、自分もまた話のスキルなし、コミニケーションないので、結局は、行っても子供を叱るか、小学生につきまとい、うっとうしがられて泣くか、他所のママにしかられるか・・・


別に差別ではないだろうけど、結局は、この親子とは関わりたくない、っと思われちゃうんですね、自然な流れですが。子供が友達と遊ぶと、あっちへ行こう、っと遊んでいた子のママがむこうへ遠ざける。やんわりですが、何千回も経験しているとやんわりでも敏感に分ってしまうのがね、もっと鈍感になりたい。より、鈍感になろう。

実際子供が誰かと遊んでいると、例え大人しい子でもうちの子につられてパワフルさがうつってくるからでしょうね。分る気もする、関わりたくないんですね。みんな自分の家庭が幸せならそれでいいんですから。私も子供を産む前はそうだったような。

子供を産む前は、他所の子供の親に躾がなってない、甘い、っと心の中で激怒していた。みんな程度にあった躾をしてるんですけどね。一切子供に関わらない人、特に男性には理解してもらえない場面が多い。自分も子供を持つ前は全くそうだった。


公園で、乱暴で、暴言バンバンな小学生よ~く見ます。
親はケロッとして注意しないどころが、その場面を見てもぼーっとするだけで、何も思う事がないのでしょうね。目の前で小さい子を叩く自分の小学生息子見ても、何とも感じない。そんなママにだけはなりたくないな。ある意味、いずれは結局は、最終的には自分の子供への虐待っていうふうになるのではないかな?社会に出たら浮きますよそんな子供は、大人になるまで親も恨むことなく甘え甘えで行くんでしょうけど・・・。

小学生の男の子でまず優しいとか、あんまりいないですね最近。
だいたい小さい子に乱暴な子が多いのはどうしてだろう?
親がどんどん子供に躾けできなくなって来ているのは、ちょっとした事でもすぐに虐待扱いされるからなのでは?とか色々考えますが。といっても、子供本人が小学生大好きで輪に入っていくからどうにもならないのですが、泣かされても叩かれても、自分から行くので止められない。人を選ばず誰とでも遊ぶ性格だとこうなるんですね。でも人を選ばないっていうのは差別する心が低いのでは?と思う。3歳でも4歳でも子供同士の差別ってありますよ、意地が悪い子いますから。乱暴なのとはまた違います。意地の悪さって生まれつきなのか?育て方なのか?って最近よく考える。


最近は自分も図太くなったので、そっとやちょっとの暴言や好奇な目、イヤミなんて、逆に跳ね返してやるくらいでね。でないとこういう子供のママ役はやってられないのです。口喧嘩にも負けません。身内だって全てが味方~なんてのはありませんからね。他人はまだ可愛い、サパッリ終われる。でも身内だとやっかい、言って、言いふらし、広がり、そして悪者の見方まで増やす。だから自分は家族とか血族者とか身内・・・っとかそんな事で振り回されない。誰が自分にとっての家族なのかは私が自分で決めることにしよう、っとある日思ったのです。優しいだけが家族じゃないけど、心の中で本当に友達じゃないなって思えばもう付き合わないし、家族ならここは受け入れてくれてもいいのでは?って部分までも批判されるなら、形の上では家族でも家族ではないのです。


養子の子供だって自分の子供だと言えば、その親には子供なのですから。
友達選ぶ、って言葉があるけど、家族も友達も選んでるんじゃないかな、きっと無意識の中ではみんな。
形に惑わされないように、ちゃんと見るもの見る目をもちたい。

インサイド・ヘッドを見て、人の脳ってなんて面白いんだって思ったわ。
誰もが脳の中ではハプニングが起きていて、脳ってものすごい活動してるんだなって思った。人生変えたいなら、まずは脳を動かした方がいいわ。

簡単な方法としては運動なんだけどね。
脳科学ってすごく興味のある分野。
コーチング講座でも脳の話はよくします。
子供が反応なくても、脳はしっかり考えてるって。
考えることができる子供、を目指しています。
考えられない人は自然霊と感じような感じだと思うから。


フェリシモ7月 (1).JPG


コメント(0) | トラックバック(0) |2015年7月28日 17:37

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