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親子えいご ValentineCat


ハートのネコさん


昨日は、夕方に寝て、子供が。朝までそのまま眠った。
何て楽だったことでしょう。お風呂も夕飯も飛ばして朝まで眠った息子ちんサンクス。
昨日はまる1日遊んで、疲れ果て子供は帰宅後に即効寝た。そのまま朝ま・・・。
で今日は朝から親子えいごくらぶへ行った。

今日も子供の機嫌をとりながら、結局えいごよりも子供の機嫌重視だったので、前向き抱っこして~っという要求にも答えた。いつも通りですが・・。どの子供もママと一緒に参加できてて、つい比べてしまい・・少し悲しくなるも、なんとか癇癪を出さずにやりこなすことができた。

今日も思ってしまった。
乱暴な子供を持つ親はそうそういない、だからそういった子供を持つと周りの理解なし、冷たい視線・・・といったような感じになっていく、親子で浮いてた。
えいごの後も、公園で、知らない子のおもちゃお奪う、蹴る、突き飛ばす、作ったお山を脚でぐちゃぐちゃにする、ツバをはいて飛ばす、砂をなげつける・・・。どうしてうちの子はこうなんだろう?っと考える。

一つに、言葉が遅い、不器用。
二つ目に関わり方が分かってない。
三つ目に悪気はなく、ちょっかいのつもり。遊び感覚のつもり。
四つ目に遺伝的なもの。私の親は両方とも乱暴だったこと。
・・・・っと考えていくと、思いやりがまだ育ってないというのもある。4歳からめばえるものなので、もうすこし待ってみたい。例えば年長になればあきらかに幅が目立ってくると思うので、そうなったら訓練なりしていくのもありなのかもしれない。
とにかく考えても答えの出ない問題って感じで、調べるとけっこう同じ境遇の人がいて、自然に大きくなったらなくなった・・・となってる。


このクラフトもほとんど私がやった。
キラキラの鼻がキュート。一応ハートの形ですが・・・ネコさんです一応。
おひげはアレンジしてより可愛くしてみた。

英語パスタ (2).JPG


今日は五右衛門でランチ。
友達ママ「いつも同じ場所で飽きたね・・・」
っとなって今日は別の所へ。地中海パストセットを食べた。

英語パスタ (5).JPG


子供と家に一緒にいる時間は(かわいい、かわいい)っと連発して子供をいっぱい抱きしめて、大好き~っとなるけど、1歩外へ出たら子供が可愛いとおもえない自分がいる。とにかくいつ、どこで、どこの子に何するのかを目をひからせて見張る。ゆっくり話もしてられない。公園って親は神経を使う。

それに比べれば、食べるのが遅い、癇癪が酷い、着替えができない、トイトレが進まない・・・っとそうんなことは悩みではなくなった。乱暴になればなるほど、そういった悩みは悩みじゃなくなった。だって人に迷惑かける内容ではないもの。着替えも時間掛かってもいいし、偏食も誰かに迷惑かけるわけでもないし。

とにかく人の冷たさを知ってからは誰も信じなくなった。
今は病院という所さえも、先生とか、そういった人でさえも信じられないので、友達ママからも色々アドバイスで訓練する教室もあるから・・と言うけど、そういった機関すらも信じていない。行っても理解はされないし、子育て方法に批判されるだけだろう・・とか色々考える。子供を産む前の環境でもそうだけど、親にあんたはいついなくなってもかまわない、というような扱いだったので、今でもイマイチ自分に思いやる心がない。というか理解できてない。今だに、逃げ道を沢山用意してたり、多くの人の裏を見てきたから、裏ばっかり読んでいたり・・もう癖になってる。悪い癖というんでしょうね。パターンになちゃってる。

でもそれくらいひどい環境でしたので、大人になっても心にはぐっさりと刺さっているんです。母親に言われた言葉なんかが・・・。変えようとしても、変っても、、一瞬でも気を抜くと戻っていく恐さ。プラス思考の友達を作ってきたことでだいぶ変れましたけど・・。

今自分が母親になって感じる事は、子供にとる態度や言葉っていうのは、親が思う以上に子供には深く、浸み込んでいく、そして大人になってもかなりの影響があるように思う。親と同じ事しかできない自分に情けなく、気づくと自分が言われたこと、された事を子供にもやってる時があったり、色んなママの子育てパターンを知る事で今はだいぶ自分の立ち位置を確認できるようになった。子供時代は、本当に母に洗脳されていたような気がします。所有物化って怖いですが、無意識にそうしてるママ多いと思うんです。

子供は神様からの預かり物、っと常に自分に言い聞かせ、いつかは返していくわけで、なんでもやりすぎないように。叱るのはいいけど、叱りすぎないように、褒めるのはいいけど、褒めすぎないように、なんでもバランスを保つように心がけ。極端にならないように心がけて・・・と工夫してる。

間違っても母親と同じ道にだけは進んでならない、と自分に言い聞かせ、とにかく気づくたびに、そう言い聞かせて、だいぶ極端ではなくなってきた考え方も。なにしろ生き方そのものが極端な私生活でしたから。生活から日常まですべて普通という枠からははみ出ていたケースだったので。今は普通を楽しんでる。普通というには常識の範囲以内で起きる出来事の中で生きること。普通の暮らしがめちゃめちゃ幸せなんです私には。暴力もない、カースト制度みたいなものもない、人として扱ってもらえる嬉しさ有り難さって、たぶんその辺の人達にくらべたら大げさなくらいに感謝してると思います私は。普通の生活が何よりもありがたい、健康でありがたい、毎日逃げ回ることのない普通の生活が天国そのものです。

家族の中で、カースト制度があったり、暴力があったり、ビクビクすることがあったり、他にも色々ですが、家族のスタイルは家々によって違うと言っても、我が家はひどかった。この世に悪はない。いたって地球は平凡、人の中に鬼が住んでるだけ。誰の中にもいる、出るか、出ないかの違い。自分の鬼の部分をしっておく必要はあると思います、もっとも人を傷つけずに生きたいと思う側の人間ならなおさら自分のそういった部分をよく知っておく必要があると思う。自分を知らないって一番怖い事ですもの。

っと今日また思ったのであった。


コメント(0) | トラックバック(0) |2015年2月12日 17:21

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