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療育 手芸



今日で11回目です。4ヶ月が経ちました



10月の療育教室は技術の秋~ってな感じで、さっそく今日はフェルトでおにぎりを作りました。親子分離2回目があったので、子供達は庭であそんでおやつを食べて、その間ママ達はお話会と分離をしました。



20分で仕上げたおにぎり。
梅干です。たらこもありました。

親子分離では新メンバーのママの自己紹介と、この前休んだママの相談を聞きました。相談は「怒ってしまうことがやめられない」でした。それについては皆さん同じ悩みでした。

私は9月は数回しか保育所へ預けられなかった。祝日は休みだし、葬式、発達診断、で休んだので、9月に関しては全く自分の時間はないです。ストレスも今月は発散できる時間もないので、どうしても子供にやつあたってしまいます。10月はいっぱい預けられるのでまた変ると思いますが・・・・。
やっぱり保育所へ預けないとキツイ。子供が可愛そう、おかしくなるんじゃないか?って思うくらいに毎時間怒ってる。

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終わるとお庭で少し遊んでから電気やへ。
今日は雨の予報だったので、車で行きました。
電気屋ジョーシンで印刷機のインクとL版の光沢写真用紙を購入。ポイントカードを作ったら1000ポイントついた。



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そしてこんなものまで。
買って~っと言われると買っちゃう甘い母。
自分がおもちゃを一切買ってもらえなかったので、子供にはついつい買っちゃう。
家中おもちゃであふれている。


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そして1時半くらい、ようやくランチ。

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療育を終えて、今日の感想

今日は子供が友達のおもちゃ取ったり、親子分離で庭で遊ぶ時も友達や先生に砂をかけたりしたそうです。先生が、「言えばわかってるようなので、ちゃんと言って下さいみたい」な事を言われました。朝の相談の時間でも「言い方をストレートではなくて違う方向から言ってみて」っと。

しかしそれは家では毎回やってることです。
子供は私のいう事は聞かない。でも外ではいう事聞いたりします。
私「普通の子供の声かけではなくて、自閉症の子の専門的名な言い方じゃないと通じないのかも?」「こっちのいってる事がわかってないようです・・・・」っとも言ってみた。本当に言葉そのものが通じてない。時々英語でいったりすると通じたりするのですが。

普通に言って分かってくれるレベルの子供じゃない特殊な子供の場合はどうすればいいのか?今は発達障害の本を読みあさり勉強中です。自閉症の子はカードを使って、やるべきことを伝えると上手くいったという話も聞きます、本にも載ってるし。なんでも1回はやってみよう。

次回、先生が見ているところで普通の言い方してみます。たぶん変らないと思いますけど。もう3年間あれこれ試していますから。よけいに酷くなるということが分るでしょうね。だって子供は無視されてると思って泣き方が激しくなしますから。


優しい言い方が、子供には理解できずに、無視されてると思うようなので。
ただ、あちこちで、私の言い方が問題で、子供がこうなってしまったのでは??・っと言う言い方はよくされます。正直分らないです自分でも。
誰でも出来ることこ、出来ないことはあるので。


私は育った、環境もそんな器用な人の様に恵まれた環境ではなかったし。
母も父も話し方は不器用で、友達もいなかったようですから。

まず母親からは20年間怒鳴られて育ったので、正しいものの言い方が分らないから、小学校上がっても友達は出来ませんでした。誰も教えてはくれないのです。器用な子を目でいつも追って、それで少しづつ見てやり方を盗みました。今でも仕事は聞いて教えてもらうものではなくて、見て覚えるものだと染み付いています。

親から常識や挨拶の仕方、教養なんて一切教わらなかった。
教えなかったんだと思います。理由は社会に私が出れないようにする為だったと思います私は。何故かというと18歳くらいになったら、養ってくれ良く言われました。一緒に私と喫茶店をやればいんだよおまえは!って。
もう決め付けです。高校だって親の決めた高校を受験。ちさい頃からのおけいこごともギッチリで、どれも全て母が決めたものばかり。私のやりたい事は聞いてさえもくれませんでした。月~土曜まで、友達なんて出来るはずありません。遊ぶ時間がないのですから。

きっと自分の老後が心配だったのでしょう。私結婚したい、って言うと「結婚しても幸せにはなれないよおまえは、そう運命で決まってるから」と。私が18で仕事をして学校行って、どんどん賢くなっていくと、母は機嫌が悪くなって、私の接し方も厳しいものになっていった。どうやら母は、自分よりも娘が幸せになるのが憎かったようでして、何でも出来るようになってく私を見て、態度も酷くなっていったから。
自分と娘を一緒くたに見ていたのでしょうね。実際娘にやきもちを焼く母親は多いものですよ。

職場の叔母さんに相談すると、「ちょっとコンビニ行ってくる、って言って、そのまま家を出ちゃえばいんだよ」っと。その後私はそのアドバイス通り家をサッサッと出ました。サックリ出て行きました。


子供の頃よく話しかけました母に。その度に無視されました。
私が「見て~」っとしつこく言うと「うるさいな。おまえは。何があろうが声を出すな」と言われました。それ以来私は全く喋れない子供になってしまいました。今でも、いまだにそうれが残っています。本当に全く話は聞いてもらえなかった。


常に暴力、体の、心の、他の種類の暴力もあったけど、昔は虐待を虐待と言わない時代だったので、毎日誰か(助けて)と泣いていましたが、助けを求める場所もなかった。今はいい時代だと思います。もし今のような時代なら直ぐにでも虐待相談にかけつけてますから。

家を出て7,8年後までずっと毎日、兄に追いかけられて殴られる夢を見続けました。
兄からの暴力は特に辛かった。母はまだ精神的と言葉の暴言だけでしたから、まだよかった。鉛筆の芯もいまだに体にうまったまま。あちこちです。母は見てみぬフリで、「やられて当然だ、私もやってやりたいくらいだわ。おまえには」って。その時、私は家族の嫌われ者なんだって思った。だからいつもずっと学校にいたかった。夜遅くまで帰らなかった9時とか10時まで小学生なのに。おちこち、ほっつき歩いていた。だって帰ると暴力がまってるもの。


18歳くらいの時には、本気で母に殺されるって思いましたから。
私は自分を守るために家をでました。結婚も生きる手段でしかなかったのかもあの時の私には。

病院という場所へ行っても無意味。そういうレベルの話ではない。
病院へ通っても解決されない。っと思った。問題なのは私ではなくて、私の家族全員なのだから。私ひとり病院へいってもラチがあかない。家族で行くべき。臨床心理士の先生にもそう言われました。
母とはどれだけ話ししようとしても、ダメだった。一切聞き入れない。母は弱いのです。受け入れられる強さがないのです、自分のしたことに。認める勇気がないのです。つまり逃げなんですけど。

それでも母親がそういう態度でいる限りはもう変えられない、あの家族は。
だから諦めて、ひとり家を出ました。父は一切家庭にかかわらない人だった。生活費も入れなかった。母もそんな旦那との問題で辛かったのでしょうね。子供を抱くことは1度もありませんでした。


離れて12年が経つけど、最近ようやく、母はおかしかった、と思う。
いい環境で育って、誰だって毎日天使のようなやさしい言葉のシャワーを浴びれば、素直な器用な大人になるんじゃないかと思う。子供の頃にしみついたものは、なかなか大人になってもかえられない。変える努力をおこたってるのではなくて、気づけば悪い事の繰り返しなのです。

もう専門的名機関の人でさえも信じていません。
20年間ずっと「欲しくて産んだんじゃない、死んでほしい。早く出てって。」「早く親の義務を終えて、縁を切りたい」・・・。


普通のことだったので何とも思わずに、育ったけど、いざ子供を産んで育てようとすると、つまずくのです。そこが腹の立つ所です。この先も過去の経験にずっと邪魔されるのですから。


これはこれ、あれはあれ。と別枠で考えたいのですけど、子供の頃に母に言われた言葉を、全く同じセリフで全く同じ口調で子供にも言ってしまってる。これはもう病院とかそういう範囲じゃなくて、私は後遺症と言っています。



心の後遺症。
もう死ぬまで、治らない心の傷です。心の傷に時効なんてありはしません。そう気づくのです。心が傷つくことで、脳にも傷がついたんだと思います。
私自身が発達やどこかに障害があったのかもしれません。母にも「口で言ってきかないから、殴ったんだよ、だって殴るという事聞いたもん」と言われた事がありました。そこから考えると私も、息子くんのように発達に問題があったんだと思います。

後遺症っていうのはね、努力とか、カウンセリングとかもうそんなレベルではない。
体の一部、細胞の一部のように、ひっついてる。
自分でもはずせない。癌細胞みたいなもの、転移しまくり。
虐待の心の傷は、心の癌です。そのもの。
一生ずっと思い鉛をかかえて生きるみたいなもの。


普通の環境で育った人には、絶対に理解できない領域。
今までも、分ってくれた人は、プロの精神科医でもなく、以外に同じ環境に生きてきた友達とかママ友達とかだったりします。

解決策もけっきょくは、同じ境遇の方との、語り合いの中で抜け出す方法を見つける
ことは出来ていました。カウンセリングでは結局は虐待についての話は一切しなかったです。心理学的な話と、これからの未来についての話でした。虐待の話に先生が触れると、私がパニックになるので話すこともできないのです。

実際、こうやって普通に生活できるのは、過去の恐ろしい経験を封印してるからです。箱の中に封印してます。出ないように必死で、縛ってる状態。
触れられないんです。触れると、考えると自分が自分でなくなりそうで、10代の時にも自分が分裂しそうでした。いつも心は体から1mはなれた所にあって、感情がマヒしていった、色の区別も味の区別も分らなくなってきて。生きてるか、死んでるのかの感覚もなくなってきて。どんどん色んな人としての感覚が無くなっていくと、まるで自然霊そのものでした。とりもどすもにも時間がかかった。10年はね。それでも100%はもとには戻らないのです。

暴力にただ我慢するだけの毎日っていうのは、自分をこわしていかないと生きれはいられないので。世間で言う、不良とかよく分かるんです私には。だってそんな環境に生きてこれば誰だってそうなりますから。そうならなかった人はたまたまラッキーな人だっただけで。


ラッキーな子には人の重い苦しみとか、本物のいたわりなんて分らない。
っと思っています。

抜け出す方法はなく、ただもう普通の世界では普通にいられないだけ。
過酷な環境の方が逆に合うかもしれない。まわりの人が異邦人にみえるから。
だって全てが違いすぎるもの。でも自然ななりゆきですよ。これが。
スパイダーマンが自分はスパイダーマンと知った時、その日から人生も世界も変りました。トワイライトの映画でも自分が狼男と知った瞬間から生きる世界が変りますから。普通の世界では違和感を感じるので、普通の世界にいずらくなるのです。だから不良とか、そういった道に行く人もいるのかも。分ってくれる人がそこには大勢いますからね。

最近は幸せな環境で育った方からアドバイスをもらいたいとは思わない。
どんなにプロでも。上から目線でしかない。私には。
いったい何が分るのでしょうか?指図もされたくない。理解のある、普段から相談にのってくれる友達に言われると、何故か素直になれて、実行してみようって思いますけど。何しろもう人を信用できないので、人のいう事も、耳に入ってこない。

もし20年間、私と同じ環境ならもう耐えられなくなってたのでなないかしら、というような人ばかり。よく羨ましいと言われますが、「変ってあげてもいいよ。そのかわり20年間の色んな暴力にあなたは耐えられるのかしらね」っとイヤミを言います。
何故だかわかりませんが、本当によく羨ましがられます。

私だからここまで耐えて、非行にも走らずこられたんだと思います。
だから私が選ばれたのでしょうか?人生はランダムなんでしょうか?

違いますね。スピリチュアルを勉強してからは、違うと分った。
こんな環境でも自分で選んで産まれてきている。実際、色々嫌な経験ばっかだったけど、色んな学びがあったもの。

どれだけ幸せになるかじゃなくて、どれだけの事を学んだかなので、はかる部分が違うのですスピリチャルの世界ではね。だからこの世では苦しい人生でも、スピリチュアルの世界では私は幸せ者ということになります。

誕生日会やクリスマスプレゼント、おとし玉をもらってる友達が羨ましかった。
私は一切もらえなかったので。おとし玉は「親は他所の子供にあげるのだから、本当は親に返すのがすじだよ」って言われて信じて取り上げられてた。家をでても1円も返ってこなかったので、そうだったのでしょう。


この世は地獄、あの世は地獄のひとつ上。
そして自殺をして行くあの世は真の地獄です。
そう思って生きてきた。この世は修行の場なので苦しくて当たり前だし、私は忍耐のレッスン中。

まだまだ途中だけど、ちゃんとカリキュラムこなしてるわよ。
おかげで、強くなったもの。もっと強い人間になりたい。
スピリチュアルでは強い人は傷つかないらしいです。

最近までディズニーランドを拒否してた心の中で。
現実のこの世の中で、夢を見ることは、邪魔だって思ってた。

作ったドールハウスをプレゼントすると、よく夢があるねって言われる。癒されるともね。地獄をいっぱい見てればその逆の世界を頭の中で作り出すことができます。

本当のワンダーランドを作りだせる人は、めちゃめちゃキツイ現実に立ったことのあるひとなのでは、と思います。ワンダーランドはあっていいと思う。
ディズニーランドもあっていいと思う今は。
今年はディズニーランドへいく予定ですが、子供がミッキー好きだから、行ったらどんだけ喜ぶか想像するだけでも、自分は幸せなのです。子供の喜ぶ顔を想像するとそれこそが私の生きる生き甲斐なのです。その笑顔こそがこの世でもっとも強いもの。何にもかなわないのです。だからそれを守ってあげたい。全ての大人に実行してほしいですね。


ディズニーランドは私と子供を繋ぐ扉にようなもので。


息子くんの可愛さを分ってくれる人がたまにいるけど、どれだけ公共の場で暴れても優しい目でみてくれる他人という人がいたりもする。かなり救われる。
他人なのにね、感謝しちゃうんですよ、この私が。
どんなにひねくれても、子供のこととなると素直に頑張れる気がします。



ホウキに乗って空飛ぶ魔女のつもり
ハロウィンで知ったのでしょうね。

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コメント(0) | トラックバック(0) |2014年10月 3日 15:54

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