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作業訓練5

作業訓練の5回目に行ってきた。


今日、私は朝からサンバを踊った。サンバっていいな~。
昨日は発達センターへ子供と行っていた。

4歳になってから、だいぶ調子がいいな。確かに周りの子とは言葉が通じてないような所もあるけれど。
幼稚園では「1人ぼっちで遊んだの」っと楽しそうに言う。でも友達と遊んでいるみたい。
発達といっても、言葉の発達遅れは本当に困る時がある。友達との関わりにもひびくし、寂しく園で過ごしていないか?っと心配にもなるけど、1人で遊ぶのは楽しいっと言っているので、なんとか。「入れて~っと言ったらダメよ~」っと言われたから1人で遊んだそうです。でも最近は、色んな子の名前を口に出すようになった。


2才くらいから、乱暴が酷く目立ち、保健所の人からは旦那さんのVDも疑われたりした。確かに怒鳴って泣かしてはいるけど・・・・
保健所の人の言葉を聞いて、もうここは相談できる場所じゃないな・・って判断した。頭ごなしにDV疑い、っというか、どうしても型にはめたい感じでした。マニュアルにはめこみたい感じでした。専門的な人というのは皆さん。何でもかんでも型にはめようとする。子供の症状などもそう・・・。それが職業なんだろうけど、よほどの経験者でない限りは正しい判断も難しいと思うんですけど・・・。だって子供の癇癪も理由がない時だってあるし「必ず理由がある」とか何とかって言葉があるけど、ケースバイケースだと思うんだけど・・・。大人だってただ何となく、って理由の時があるしね。

親からしてみれば、子育ても子供の個性と同じように、子供がみんな違う性格なら、子育てだってその数だけあって当然。っと思うのよ。とにかく今は発達障害っという言葉も意識しなくなった。子供が成長して、そんなに悩みもなくなってきたから。力のコントロールは作業訓練でまだ結果が出て来てはいないけれど、だいぶ落ち着いた感じ。4歳の息子は、もしかして大人になったらDV光景になるのでは?4歳までずっと乱暴だったので、先の事も心配。そのくらい他所の子への乱暴が酷かった。こういう子供は調子が良くなっても、親はずっと先案まで見守っていかないとね。どの親もそうだけどね。

「思いやりは4歳から」ってこどもちゃれんじの親が読む冊子に書いてあったけど、本当にそうなんだな。あの冊子は毎月教材と一緒に来るけど、本当に良いことがまとめて書いてあっていつも助けられた。4歳になって、はじめて思いやりが心のなかに芽生える。たしかに息子の乱暴さも4歳以降に激減した。言葉で言って分かるようになったのだ。そういう意味でも言葉が遅いのもちょっと困る時もあるのだ。そして今までしてきた私の躾の効果も最近出てきた。4歳以降でも乱暴な子は、発達障害か、親が躾けしていないかのどらちかだと思います。息子の場合は、発達遅れだったから、躾も遅れをとった、というだけだった。周りからの批判はすごかったけど、自分の分析は間違っていなかったっと今では自信を持って言える。

作業訓練はもともと力のコントロール目的で通ている。
まぁ療育っていうことなのかな?
子供も楽しく行っている、運動能力と、さらに手先が器用になった。
力のコントロールは若干なくなった。自分の子育て方法もコーチングを取り入れて、まずまず。コーチングは自分自身にも使っている。子供にも使っている。



ママ友達とよく話す事は、親に愛情をもらっていないと、それを子供にもあたえることが出来ない・・っというような話をもう何回もしたような・・・。最近そのことを良く考えてみた。だって親に虐待されたって、自分の子供を愛情いっぱいで育てあげている母親は世の中には大勢いますし。きっと親が子供に与えるこの愛情っていう、こういうものだと思う自分は。

「どうしたらこの子が幸せになれるのかな?どうしたら愛情いっぱいであふれるんだろう?愛情伝わってるかな?」「私の躾は行きすぎていないかな?甘やかせてはいないかな?」・・・って色々自分の加減をいつも判断しようとしていますが、これこそが愛情なんだな~って最近気がついた。

何事にも、気づき、が大事で、それがなければどこからもスタートできません。ってことで、気づくためには、苦しんだり、立ち止まったり、考えたりるする事が必要なんだと。そのプロセスはもう充分出来てるわけ自分は。気づきにも、人と関わることが必要ですし、何かを学んで新しいものを取り入れることも必要。私はコーチング講座を受ける事で色々な自分に気づくことが出来ました。そしてやっと少しは母親らしくなれた様に思います。パニックになることもなくなったし、情緒不安定もなくなってきました。いつも小さくてもいいので、正五角形を意識しています。そのために、自分の感情は、すべて行きすぎないように。恨みすぎない、愛しすぎない、怒りすぎない・・・っというようにすべてにおいて、行きすぎないようにしている。自分でセーブをかけているのだ。極端な考え方はやめようって思う。それが他者への優しさにもつながっていくように思うし、バランスの良い生き方が出来るように思う。なんでもやりすぎるのは良くないっと思います。好きな事はトコトン追及してもいんですが。趣味とかね。


作業訓練は5回目で、1回は40分。
月に2回くらいで通う、全10回。
っとまぁ時間が限られています。なので、訓練中に子供がよそ見をしてるとついつい怒りたくなっちゃう。貴重な時間が無駄になるのが嫌で。回数や時間が限られているので、きちんと真面目に取り組んでほしいっと思う。そんな時先生は上手にフォローする。先生はいたって落ち着いていて、淡々と業務をこなす。熱心な先生で、子供にも優しくしてくれる。


昨日は、バランスをとるためにブランコをやった。色んなブランコがある。公園にあるのとは違って、丸太や宙吊りになるアクロバティックなのや・・・。
昨日は大きな太い円柱型のブランコにつかまって揺れた。揺れながら床に落ちているブロックを拾い、それを合体させていく作業。けんけんぱ、もやって、スケートボードもした。そんな感じでだいたい40分は体を動かして終わります。子供は楽しくて、まだいたい~っとごねる。

何をやったか、毎回メモをとってまとめています。後々、必要になるかもしれません。

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今夜の夕飯。
チキンカツはフライパンで焼きました。レモンソースをかけて食べた。


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子供が幼稚園で購読してる絵本が来た。
毎月楽しみにしている本。今日はこれを読んであげた。
最近は夜9時までには寝てもらう。今日は8時半に成功。

最近、漫画の「赤ちゃんと僕」を読み終えた。
子育てで色々悩んだりしてたから、非常に為になった。この漫画、はもうだいぶ前に書かれたものだったけど、古さを感じなかった。子育てはいつの時代も大変さの内容や親が感じる苦労の感覚が同じだからなかな。トラブルいっぱいの子供だと非常に親は考え、悩む。でもそれは良い事だね。問題がない子供だったらここまで、手もかけてないし、考えなかっただろうから、アホな親になってたし。おかげて賢くなった。大きな感動もいっぱいあった。何をしても小さな事で泣いて感動してた。それが今では、通り過ぎてしまう子供の成に対して。でもやっぱり小さなことでも感動して褒めてあげてあげないとね。


私が親に与えてもらえなかった物は、それは「褒めらなかった」っという事です。
これは大人になってもないですね。でも愛情はいっぱいもらった気がします、これは社会生活ではもらえる意外と。でも褒めるってなかなかだね。色んな分野で出来ない事が多い自分だけど、時々何でもないことで褒めてくれる方がいると、大きな喜びと、学びがあるな。こういう褒め方もあるんだって。
ついつい子供に褒めることを忘れてしまいます。子供の頃から染みついているママは自然に出来てたりしてますね。そんなママの子供とのやり取りを見た時も吸収してスキルアップをしますよ。どこでも出来てるママっていますから、小児科でも歯医者でも幼稚園のお迎えでもね・・・・。出来てる人を見て学ぶのが早いわ。ついつい意識してないと出来ないですね私は。でも毎日連続で意識していれば、きっと子供にもいっぱい褒めてあげられるようになると思う。よくあちこちで、もっと褒めてあげて、っと言われますし、ハッとします。だって頭にないんだもの。辞書にないの。意識すれば辞書になるかな。


そうやって親に与えてもらえなかった物だって、例えそれが愛情だったとしても、きっと子供に与えることが出来ると私は思います。与えられないって思いこんで、諦めることだけは絶対にしたくないですね。以前に友達から私は諦めちゃった、って聞いた時自分が唖然していた事を思い出しました。どうしたら愛情を与えられるか、愛情とは何なのか?って考えながら子供と関わっていく事そのものが、まさしく愛情なんでしょう。だって親をめっちゃ憎んでいた私でも今では感謝しかないですから。母親にはいつも小さい時から不満が多かったけど、今思いだすと母はいつだって泣き言ひとつ言わず、一生懸命でした。その一生懸命さが私にとっては愛情だったんだと今思うので、愛情っとうのも親子によっては種類が違うのかもしれないし、受け取る子供の受け取り方によっても違うのかもしれません。また量もいっぱい求める子供やすくなくても満たされる子供もいるかもしれませんし。

一生懸命育ててくれて感謝してる、でも最近ですこう思えるようになったのも。
もし思えない人生のまま一生が終わっていたら、私は母親に愛されなかった子供。で終わったでしょうね。でも母の愛情に気づいたことで、自分の価値が見出せました。すると自分の事も愛せるようになるのです、徐々にですが。親からの愛情をもらってない、っと言いきれるでしょうか?って思うのです。親が子供に1%も愛情を与えなかったら子供は死んでますから、おっぱいもらって、服着せてもらって、名前もつけてもらえて、それだって愛情。愛情を一切もらっていない、っと言い切る人は、きっとまだ親がしてくれたことへの感謝がなくて、それもに気づけずにいる状態。欲しいばっかりで、貰った物への感謝がない状態。そして他者と比べて、自分は何ももらってないと思っている。そうなると親への評価が厳しいってことになるのかな。だって親だって色んな育て方があるし、親も完璧な人間ではないってこと。1%の愛情に100%の感謝が出来ればいいのよ。そしたら自分も愛せるようになるし、自分の子供にも自然に愛情を与えてあげられるようにもなるのでは・・・っと。また1%の頑張った親に対しても良く頑張ったね、って言えるようになりたい。親への評価もしてもいいのかな。自分の事ばっかり考えていると本当に大事な事にも気づけなくなるような気がします。

1%感謝出来れば十分です。たったそれだけで、歯車は大きく動き出すもので、感謝する気持ちは、自分の愛情に変わっていくものですし。逆に愛情を感じられない人は日ごろからの感謝の気持ちがないのかもしれない。幸せな人は意地悪をしないんです。それを知ってから、意地悪する人は可哀想だなって思うえるようになった。虐待もそうだね。親の愛情を受け取るか、受け取らないかも、考え方次第で決まるようにおもう。自分も感謝出来なかったら、一生親を憎んで終わってたし。でもこういった一連の作業だって、無理やり頑張るのではなくって、自然にそうなっていきます。ここは時間が解決してくれる。無理やり頑張ってもそうなるものではない。その人のペースで諦めさえしなければ大丈夫。


まとめてみた。

虐待などの苦しみ(体験)
苦しむ時間(忍耐・葛藤・自分との闘い・感情)
考える時間(理性)
気づきの時間(ひらめき・発想)
感謝の心
愛情がどれだけあったかの気づくことで、愛されていたっという喜び。
自分を愛せるように
プラス思考の心
子育てなどに反映させる
幸せ遺伝子を残せる

苦しむ時間・考える時間は非常に長い。10年とか、20年とかですね。誰でもそうだと思うけど、そのプロセスがあるから、次のステップへも行けるのです。それを飛ばして次へは行けないのです。小学校も1年生を終えるから2年生へ進級できるわけで。飛び級は別ですよ。この一連の作業もきっと大きな人生での苦しみがあるから大きな感動があるわけで、今は私は、最後の方まで行けたから、こんなゆうちょなことが言えるのだろうけど、本当に苦しむ時間では、何年も苦しみ続けました。死のうともしたし、諦めようともした。病院へも通った、カウンセリングもした。友達にも迷惑かけた。自分でどうにもならない時は専門的機関へ行くのも必要だった。


スピリチュアルでは愛情は量ではなく、どれだけ込めたかが重要と言われていますが、確かに。どれだけ一緒に過ごしたか?いくつお稽古を習わせたとかではなくて、週にたった10分しか逢えなくても、その10分でどれだけ込めたかが大事。それを意識して、ぎゅっと抱きしめる時にも、私はいっぱい込めてるつもりです。朝から晩とちょくちょくマメにぎゅっと込めておきます。ちょこちょこ充電です。うちの息子もちょこちょこ充電で心の貯金が貯まるタイプかも。子供のタイプを見極めておくのも親の重要な仕事。子供ごとに違いますしね。だいたい4歳くらいにならないと分からないかな。人生では予測が大事。

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今日は、子供が体操教室の日だった。
縄跳びとボールをしたようです。
私はサンバを踊って、疲れて、お昼食べ過ぎ予報になってた。


何事にも感謝が出来ていたら、ちょっとくらいの事でも凹まないようになるわ。
悪い事が起こっても、それを悪い事にして記憶するか、良いことにして記憶するかは、本人次第っということになるのだろう。

例えば、よく仕事で怒られていた過去がありますが、その時10代の私は不満ばかり、どころか憎しみさえ・・・。でも愛の反対は無関心。これを30過ぎて知ってからは、あの時は愛情をもってくれて叱ってくれていたんだな、ありがたいなって思えます今は。怒るや叱るは無関心ではないのですから、また自分を成長させてくれるアクションでもありました。他にも、おせっかいなどもそうだし、指摘なども・・・。実際に、無関心っというものを経験していれば、それらの事柄には自然に感謝できるものですね。私の為にエネルギーを使って叱ってくれてありがとうって思うえるわけ。でも無関心を経験している人は日本ではすくない。私は母親から無関心をされた経験がありますので、無関心っというのは、もう自分がそこにいないのと同じです。ましてや親からされると自分が何のために生まれてきたんだろうって?ずっと悩み続けるのです。でも子供が私の所にやってきてからは、変わった。この子の為に生かされているって思うと、そんな事も考える暇もない。


うんうん。私も成長したな。いい記憶をいっぱい残そう。良い遺伝を作りだして子供にも、孫にも反映させよう。間違っても負の連鎖だけは増やさないようにしようっと常々思う。自分も虐待などの経験者から、気難しい子供を育てたのもあるけど、子育には自分の過去は関係ない、っと割り切れるようになった。

自分の過去は自分の過去。子供の人生は子供の人生。
それをつなげようとすると、それこそ子供が参ってしまう、また迷惑になる。
私は人付き合いが下手だけど、子供は社交的だし。是非子供のそういった良い部分まで摘み取ってしまわないようにしてあげなくちゃ。

自分が可愛そうって思うえるうちは、まだまだ甘えている証拠なのかもしれないな~。やっと自分はそこから抜け出せた。
親に感謝出来ると、子育てもずいぶん楽になる。

自分を知っているのは、自分だけ。
自分と一緒に生きてきたのも自分。
私は常に私と一緒。それを忘れないように、自分を褒めてあげよう。自分を褒められないなら、一体誰が自分の事を褒めてくれるのか?
子供がいっぱい失敗しても、過程をいっぱい認めてあげよう!!心の貯金を少しでも増やしてあげる事が目標。いつかは旅立つわけだしね。

今だって、毎日、これでいいのか?ちゃんと愛情あげられているかな?って思いながら子育てしてる。でも誰だって親はそうでしょ。

コメント(0) | トラックバック(0) |2015年11月18日 21:38

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